タイトルなし|埼玉県狭山市の司法書士・行政書士なら白幡事務所

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白幡事務所通信

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本日のGood & New

本日どころか、もう何年も前からの話です。
HPごあいさつでも書いていますが、ボクの好きな古谷綱武の詩を紹介しまーーーす!

 

道は、すべての人の前にひらかれている。その人に、やる気があるかないかだけである。

道は、すべての人の前にひらけている。しかし、道が閉ざされていると思う人の前に道は閉ざされている。自分はだめだと思うひとはだめになっていく。

道は、すべての人の前にひらかれている。しかし、自分が生きていくべき人生は、自分で発見していくよりほかにないのである。

道は、すべての人の前にひらかれている。しかし、生き甲斐と幸せとを、つかみあてるその鍵は、自分の心の姿勢の中にだけしかない。

道は、すべての人の前にひらかれている。しかし、個性のない人生は、真実の人生ではない。たとえ優れた人のまねをしても、まねをすることでつかみあてられる「自分の人生」というものは、この世にはないのである。

道は、すべての人の前にひらかれている。しかし、人生を暗く生きようとする人には明るい人生も暗くしか生きられない。人生を明るく生きようとする人だけが、暗い人生さえも、明るくいきることができるのである。

道は、すべての人の前にひらかれている。しかし、自分から諦めてしまうことは、もはや生きることではない。その人の前では道も閉ざされる。

道は、すべての人の前にひらかれている。しかし、人が一度でやり遂げることが、自分には、一度でやり遂げられないこともある。一度でやり遂げられないことは、十度やってみよう。十度やってもやりきれないことは百度やってみよう。

道は、すべての人の前にひらかれている。しかし、やり遂げるまでは決して諦めないこと、そしてそのやり遂げようとするその心を決して失わないこと。

道は、すべての人の前にひらかれている。しかし、見栄や虚栄心、憎しみや恨み、欲の深さや身勝手な自分本位、そうしたものに心を縛られていると、その心の束縛の不自由さによって、その人は、自分から自分の道を閉ざしてしまうことがある。

道は、すべての人の前にひらかれている。しかし、求める心があるならば、恥をかくことは決しておそれまい。軽薄な虚栄心などに心を縛られまい。また、人を憎むことから得られるものは何もないことも、良く知っていよう。欲の深さは、かえって失うことが多いことも知っていよう。

道は、すべての人の前にひらかれている。しかし、自分から自分の道を閉ざしてしまうような、そういう自分の中の一切のものを、自分から捨て去っていくことが大切である。それを捨て去ってしまったとき、本当の自分が生まれてくる。道がひらけてくる。

道は、すべての人の前にひらかれている。しかし、すぐに、簡単に、分かった気持ちになってしまうのは、危険である。一だけを考えて一がわかったと思うのは、本当に分かったことではない。百考えてやっと一が分かったというのが、本当の分かったということである。

道は、すべての人の前にひらかれている。しかし、いつも、やわらかい頭をもって、早く判断する人でありたい。一だけを考えて、決して誤ることなく、たちまち一の判断ができるのが、生活力と呼んでよいものである。ただそうした早い判断が、いつも誤りなくできるのは、その人が百を考えぬいてきた蓄積を、心の中に持っているからなのである。

道は、すべての人の前にひらかれている。しかし、良いことを確かに良いとわかり、悪いことを確かに悪いと分かることが大切である。しかもそれは、本当は、それほどやさしいことではないのである。その難しさこそを良く知った人でありたい。

道は、すべての人の前にひらかれている。しかし、悪いことが確かにわかるためには、良いことが確かに良いと分かる以上の、教養とセンスが必要である。そのことも、良く知っていたい。

道は、すべての人の前にひらかれている。しかし、絶えず、知ろう、学ぼう、考えよう、とする意欲をもたないならば、人はその自分の人生の道を、歩き進む力を失うであろう。知り、学び、考えていくことが、自分の人生の道を歩いていくことだからである。

道は、すべての人の前にひらかれている。しかし、人によっては、自分にとっての一番やさしい道しか、歩こうとしない人もいるが、人によっては、自分を育て続けていくために、一番難しい道の方を、一生懸命歩み続けている人もいる。

道は、すべての人の前にひらかれている。しかし、そこで、権利意識ばかりを無闇に振り回して、まったく停滞した空虚のなかだけに身を置いている人もいる。そうではあるがしかしまた、人間としての権利の意識をまったく自覚していない人は、とかく大切な責任の意識にも欠けている場合が少なくない。

道は、すべての人の前にひらかれている。しかし、したいことだけして、しなければならないことは、なかなかやろうとしない人もいる。しなければならないことこそを、したくなる人になりたいものである。

道は、すべての人の前にひらかれている。しかし、この人生はまた、その別の一方では、人にその道を見失わせるほどの誘惑と失望とのくり返しにも、導いていることを忘れてはならない。道は平坦ではないのである。それだからこそ、人生という道の味わいは深いのである。

道は、すべての人の前にひらかれている。しかし、世間に自分というものを誤りなくわかってもらおうなどという期待は、持たないほうが良い。そうした期待に生きたいのであったら、世間の因襲に全面的に屈服して生きるよりほかにないのである。それは自分のない人間になることである。
わかってもらえようともらえまいと、そんなことは問題にしないで、あくまでも、自分の真実にこそ生きつらぬいていこうとするとき、世間というものは、案外思いがけなくかえって自分を理解してくれるものなのである。

何度読み返してもいいですね!

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